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「運命」 (廣畑俊汰)

みなさん初めまして廣畑俊汰です。

出身高校は兵庫県の北須磨高校というところでヴィッセル神戸ユースチームに所属していました。

 

 サッカーは小学3年生から始めました。始めたきっかけは周りの友達がみんなやってるからというなんとも単純な理由です。サッカーをするのはとても好きですが、観ることは最近まで興味がなかったです。一人暮らしを始め時間に余裕が生まれ、チャンピオンズリーグやプレミアリーグにハマっています。好きなチームはマンチェスターシティです。理由は強くて自分が好きなサッカースタイルだからです。ガキのような理由です。

 

 次は私の母校である北須磨高校について少し紹介したいと思います。私の母校である北須磨高校は兵庫県民でない限りご存知ない方も多いと思います。(兵庫県民でも知らない方は大勢おられると思います)単位制で制服が男女ともにネクタイという特徴はありますが、ごく普通の公立高校でした。兵庫県の公立高校といえば長田高校や神戸高校などが学力が高くいわゆる有名校で、北須磨高校はこのような高校に比べると学力は落ちます。しかし私の見解ではありますが先生の情熱は兵庫県ナンバーワンであったと思います。1年生の頃から大学受験を意識していこうという雰囲気を出され、正直当時は「なんでまだ1年やのにこんな大学受験言うてくるねん」ってなってました。他にも個人面談で10分枠が30分ぐらいにのびる人もいたり、課題も多かったりなどと当時はだるっと思ってましたが、一つひとつしっかりと真摯に受け止め取り組めば自分の力となることだらけであり、今となっては生徒を思ってのことだったのかなと思ってます。でもここ最近は私立高校無償化のためか倍率がひどいくらい低いので先生方にはなんとかして人気を取り戻してほしいなと思います。

 

 前置きは長くなってしまいましたが、タイトルにあるように今まで18年間で自分が感じた運命について書いていきたいと思います。

唐突であるのですがみなさんは運命は信じますでしょうか?私は運命、人は多少導かれて生きていると思います。(やばい感じではないので安心してください)まだ18年しか生きていませんが私がこのような考えになるきっかけとなった経験を2つ紹介したいと思います。

 

 1つ目は小学6年生の冬頃の話です。ちょうどその頃、中学生でもレベルの高いところでサッカーをしたいという気持ちがあったので、2つのJクラブのセレクションを受けることにしました。それがヴィッセル神戸ジュニアユースとセレッソ大阪西U15というところです。どちらのセレクションも最終選考である三次セレクションまで進むことができました。そして日程的にはセレッソ大阪西の方が先であり、その後にヴィッセル神戸でした。迎えたセレッソ大阪西の三次セレクション当日。私の記憶が正しければ、台風が来ており風や雨が強いけれどサッカーができないほどひどくはなく、家を出発した時はセレクションの場所での警報もなく中止の情報も出ていませんでした。しかし、いざ会場についてみると風や雨が強くなっており警備員のおじさんに今日は中止になってるよと言われ延期になりました。延期になったもののヴィッセル神戸のセレクション日よりも前にセレッソ大阪西のセレクションが予定されました。

しかし、セレッソ大阪西のセレクション当日またもや台風になり再度延期になる事態が起こりました。そのため、まさかのヴィッセル神戸を受ける日が先になり試験当日に電話で合格をもらいました。正直どちらかのチームに行ければいいという気持ちがあり、先に合格が出たところに行こうと自分自身で決めてました。そのため、その場で入団を伝えセレッソ大阪西のセレクションは辞退させて頂きました。この出来事がなければもしかしたら私はセレッソ大阪西に通い全く異なった道を歩み、現在広島大学に通っているかも分かりません。本当に導かれるようにヴィッセル神戸ジュニアユースに入団することができ、周りの人に恵まれ、とても重要な岐路であったなと今でも感じています。

 

2つ目は大学受験の話です。私自身親元を離れて一人暮らしをしたかったため関西圏の大学には行かないと高校1年生の頃から決めていました。そして高校3年生となった当初の第1希望は筑波大学でした。正直、広島大学は考えてなくて筑波大学とほぼほぼ決めていました。そして筑波大学の練習参加をし、AOでの受験が厳しいと分かり、時間にまだ余裕があるので他の大学の練習参加にでも行こうかなと考えていた際に、授業では全く関わりがなかったけれど入学当初からサッカー関連のことで大変お世話になっていた体育の先生が広島大学サッカー部の出身で、近年力をつけて来ているしプロの道も自分次第では全然あるから試しに練習に行ってみたらと声をかけてもらい参加させてもらいました。実際に参加してみて選手同士の仲の良さや思ってたよりレベルが高く(先輩方すみません)自分が成長できるなと感じ、最後までとても悩みましたがAOで広島大学の受験を決めました。自分の高校にその先生がおられなかったら私は広島大学の練習にすら参加をしていなかったと思います。それが1つの運命であったと思います。

実は私は第1希望の高校に落ちて第2希望の北須磨高校にたまたま行きました。いやチャレンジで第2希望になる可能性が大きかったのではと思われる方もいるかもしれませんが、塾では4,5回あった模試は全てA判定(80%以上)であり、学校の先生からも受かりますねと言われて内申点も相当高かったです。(兵庫県は内申と実力の割合が1:1であり内申が高い人が圧倒的に有利でした)実力はその高校を受ける人の平均ぐらいであっていつも通り受ければ必ず受かるという状況でしたが当日少し熱があり思ってたようにできなくて(完全な言い訳です)、模試、過去問含めて過去最低点で第1希望の高校に落ちました。帰りの車では大泣きし運転席の頭の部分をずっと蹴ってました。家に帰ってからも家の壁を寝そべりながら蹴り続け、穴をあけました。その時の気持ちはもちろん悔しいもあるけれど絶望もあり、ほんと言葉では言い表せないような感情になったのを今でもはっきりと覚えています。しかし先程も言ったようにこの高校に来ていなかったらまずまず広島大学の練習参加を勧めて頂いた先生にも出会えず、広島大学に進学しようと思わなかったと思います。高校時は課題が多く、先生はうるさくてめんどと思っていたけれど今となっては北須磨高校にくる意味があったんだなとこの件を含めて心から思えています。これが2つ目の運命を感じる体験でした。

(大変長々と書いてしまい、国語力がないのがバレそうではあるのですがあと少しお付き合い下さい)

自分の大きくはこの2つの経験から人は多少の運命はあるのだなと思いました。今これを読んでくださっている方はどのような人かは分かりませんが私と同じような経験を少なからずしていると思います。「もしあの大学受かってたらこの人に出会ってなかっただろうな」「あの経験がなかったら今の自分はないな」などなどです。もちろんその規模の大きさであったり関わる人はその人自身の夢や目標に対する取り組みによって変わると思います。何がなんでも決められてる人生はないと私は思います。ですが生まれてくるにあたってどのようなストーリーを歩んでいくのかはある程度決められていて、それがその人にとって最善なものだと私自身思います。私が今広島大学に通って出会っている仲間ともなにか意味があるし、サッカー部を通じて様々な経験をし、その一つひとつになにかしらの意味があると思います。そのような一つひとつの出会いや経験を大切にし、自分の夢や目標にこれから突き進んでいきたいと思います。

 

このような変な哲学的な話になってしまいましたが最後までお付き合い頂きありがとうございました。