2年生

「決断」(長谷青龍)
2年生 · 29日 2月 2024
 こんにちは。瀬戸内高校から来ました、医学部保健学科理学療法学専攻の長谷青龍です。2024年1月から途中入部という形で加入させていただくことになりました。今回は、入部を決めた経緯や入部して感じたことを書いていきたいと思います。長くなりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。...

2年生 · 19日 7月 2023
こんにちは。僕は工学部第2類(電気電子・システム情報系)の武田航大郎です。広島大学体育会サッカー部に所属して気づけば1年生の大学生活の前期があと少しでおわり、2週間もたてば夏休みに入ろうとしています。僕は富山県の砺波県立高校出身で富山の夏は蒸し暑いのに対し広島の夏は暑いけど乾燥しており富山に比べるととても過ごしやすいです。最近はサッカー部の一部の同級生に方言をいじられて少し困っています。この文章に方言が出ていたらすいません。 僕は自分が何故サッカーを始めたかはよく理解できていないし、覚えていません。ただ生まれたときからサッカーを始めるまで自分の生活にサッカーが身近なものでした。僕は日本で生まれましたが生まれてすぐ父親の仕事の転勤でブラジルに行くことになりました。ブラジルでの記憶はあまりありませんがよくテレビでサッカーを見ていたのを覚えています。僕は小学一年生になるときに日本に帰国しました。そこで地元にあるスポーツ少年団に入り僕のサッカー人生が始まりました。そのまま中学生の頃もサッカー部に入りました。僕が1年生のころ中体連の全国大会が富山県開催で僕の中学校は県で優勝して地元枠で全国大会の出場権を獲得しました。全国大会の時に僕はベンチ入りをすることができ、間近で全国のレベルを見ることができました。特に青森山田中学の試合はとても強烈で僕のサッカーに対する熱が上がりました。 しかし僕のサッカー人生はいいことばかりではありませんでした。中学3年生の時に受けた県トレの最終選考で周りのレベルと自分のレベルの差に唖然となり、一度サッカーを辞めようと思うほどの挫折を味わいました。また、コロナで高校サッカーを思う存分に楽しむことができなかったことや現役受験を失敗して浪人したため一年ほとんどボールを触ることができませんでした。僕はこのようなサッカー人生を送りそして今、広島大学サッカー部に入部しました。 僕が広島大学サッカー部に入部して3か月くらいが経過して思ったことを書きたいと思います。一つ目はサッカー技術とIQの高さです。すべてのカテゴリーにこのことが言えるため非常に選手層が厚くなっておりポジションによっては誰がやってもスタメンと遜色がないくらいのパフォーマンスができていることに驚きました。入部当初は戦術を理解するのが精一杯でしたし、現在もわからないことはたくさんあるので早く実行できるようになりたいと思っています。二つ目は意識の高さです。広島大学のサッカー部ラインでは毎日のように練習メニューの動画が送られてくることや、紅白戦があれば必ずその動画を撮りみんなで共有することが可能など、毎日サッカーのことを考えることができる環境が整っています。僕はよく自分の紅白戦の動画と一個上のカテゴリーの動画見て自分のプレーと先輩のプレーを比較しています。また、先輩方やコーチ陣は非常に親しみやすく実力もあるので安心してプレーをすることができます。 最後に、今僕はこれまでのサッカー人生で一番充実した時間を過ごせていると思います。僕はまだこの広島大学サッカー部で成し遂げたい具体的な目標はありませんがここで4年間サッカーを存分に楽しみたいと思っています。その中で広島大学サッカー部に何か貢献できることを探していきたいです。ここまで長い文章を読んでいただきありがとうございました。これからも応援のほどよろしくお願いいたします。

「ぼちぼちいこか」(伊藤翔)
2年生 · 17日 7月 2023
こんにちは。どうも初めまして。理学部物理学科一年伊藤翔です。この「翔」という漢字を初見で「つばさ」と読めた猛者は未だ僕の18年の人生において現れていません。きっとこれを読んでいるあなたも読めなかったことでしょう。悲しいものです。僕の出身は和歌山県の向陽高校(僕は中高一貫の方)といい、地味にSSH(スーパーサイエンスハイスクール)というものに指定されており、理科の実験はいっぱいしたので結構慣れています。まあこのように思ったことをつらつらだらだらと書いてしまう僕の日本語力のない文章ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。ちなみにクソ長いです。 僕がサッカーを始めたのは小2からで、実家の前の家のイケメンのお兄ちゃんの影響で、「おもろそう!」と思ったので始めました。別に強いチームとかじゃなくて、所謂the普通の地元のチームで、楽しくサッカーをやっていました。そこから「中学受験っておもろそう!」とわけわからんことを思った伊藤少年は、サッカーもやりたかったので、いい感じに勉強していい感じにサッカー部のある和歌山県立向陽中学校に受かり、サッカー部に入りました。   しかし、そのサッカー部は強豪でもないどころか、全部員で11人ギリ足らないくらい、毎年別の中学と合同チームを組んで市大会に出て一回戦に勝ったらいい方って感じのチームでした。正直僕は中学時点では和歌山県で下から数えた方が全然早いような実力しかついていなかったと思います。ちなみにその時はCBをやっていました。 その後高校にヌルっと上がってしれっとサッカー部に入ると、まさかの僕の世代の人数が例年に比べ異様に多く(それでも20人ちょっとですが…)、初めてポジション争いという概念に触れました。また、高校入った時から点を取りたいという渇望が現れ、ボランチになりました。高校も全然強くは無く、和歌山県でちょうど真ん中くらいの実力のチームでしたが、僕はレギュラーを簡単に取れたかというと全くそんなことはなく、まともに試合に出始めたのは二年の秋くらいだったかなと思います。それまではほぼ一切試合に出るどころかベンチにも入っていませんでした。 そうしてなんだかんだ結構楽しく高校サッカーを総体和歌山ベスト16という何とも言えない成績で締めくくった僕は、結構勉強を頑張り、紆余曲折(前期試験で落ちたり…)の後この広島大学に入り、今に至ります。 さて、ここまで僕のサッカー人生をざっと見てもらいましたが、そこそこちゃんと読んでくださった方なら想像に難くないと思いますが、僕は広大サッカー部に入ってあまりの周りとのレベルの差に呆然としました。あまりにもうますぎる。なにもかも。特に、入った直後にトップの中国リーグを観戦したときの衝撃はあまりにも大きすぎました。「この人たちはホンマに同じ人間なんか?!」と。僕の経験してきた高校までのサッカーとは格というか次元というかが全く違い、もはや一周回っておもろく感じました。また、やはり大学サッカー、ただただ技術的にうまいってわけでもなく、チームスポーツの何たるかを体現しているなと感じました。チームとしてどのように守り、攻めるのかという物事が共有されている感じが、高校サッカーとは違う、大学サッカーの、広大サッカー部のクレバーな部分だなと感じました。 こんな広大サッカー部と実力の差が激しすぎる僕は、何を武器にしてついていけばいいのでしょうか。神は理不尽なようで、僕はサッカーをしてきたくせして卓越した身体能力などは一切持ち合わせていません。高校のスポーツテストではD判定を取ったこともありますし、結構太っちゃう体質でもあります。受験勉強時には16キロ太ってしまい、さすがに笑えませんでした。 そこで、僕は自分の何を武器にすればいいのか考えて、一つひねり出しました。それは、性格が無駄に変な方向に真面目なことです。なんやねんと思う人もいるかとは思いますが、ただただ真面目に、着実に焦らずにちょっとず~つうまくなっていくということに、僕は全く抵抗がないです。意外と人間焦っちゃったりしそうなもんですから、わりかし焦らずにちょっとずつができるのは強みなのかなと思います。ぼちぼちいこか~の精神ですね。僕にはそれしか生き残る道はないのかなとも思います。 さあやっとっと半分まで来ましたが、ここであえて一見サッカーと全く関係なさそうな、僕の好きな言葉についてちょっとだけ語らせてください。 「人生に科学の視点を。」 これが僕の一番好きな言葉です。僕が高校の時に通っていた塾の先生の言葉です。字面だけでは何言ってんのかよおわからんと思いますので、説明すると、物事を科学の視点から見ることで、人生豊かになるよってことです。 科学は実に地道です。Try and Error の連続、何が起こっているかわからない眼前の現象に対して、仮説を立て、実験し、仮説を立て、また実験しの繰り返しです。大した発見もできずに歴史に名を刻まれなかった科学者もごまんといるでしょう。多分。そうして紀元前から人類が積み上げてきた科学も、真理には永遠に到達することがない、常に反証可能性をはらみ、それが消えることは絶対にないということが、数学的に証明されているのも悲しいものです。 ではなぜ人類は科学をし続けるのか。僕なりにはその答えはあまりに単純で、ただただ目の前の世界のことを知りたい、世界の美しさを誰よりも理解したい、という、人類の果てなき欲求に忠実だからだと思います。 つまり何が言いたいのか。 僕のサッカーへの取り組み方は、この考え方が大きく反映されています。自分の何を磨けばいいのか、何を修正すればいいのかという眼前の問いに対して仮説を立て、練習で実験、また仮説を立て、そしてまた実験…。それを繰り返すことで、本当に少しずつ上手くなれるだろうと信じ努力を続ける。ただひたすらに上手くなりたい、試合に出たいという欲の下に。 僕はサイエンスを信じています。だから、目標に向かって地道なTry and Error を続けていきたいと思います。というのが、僕のサッカーに対する取り組み方のポリシーみたいなものかなあと思っています。 もしこのパラグラフの話がピンと来なかったという方は、Dr.Stoneというアニメを見てくださるとわかりやすいかなと思います。 そういった努力の目的地として、最終的にはトップのレギュラーの座を勝ち取ってやるぞというのが僕の当面の個人的な大きめの目標になるのかなと思います。まだ僕はチームを勝たせるとかそういうことを語れるようなポジションにいないので、そういうのはそれが僕の実力的に現実的になってきたら考えようかなと思います。 僕は自分の欲、特に「おもろい」と感じることに対しては、とことんやりたいたちです。だからただただ物理を極めたいという理由で物理学科に入りましたし、サッカーサークルに入ることなく、この厳しいであろうサッカー部にわざわざ入りました。そういうわけで、僕はこの最高に自分を磨ける環境で、思いっきりサッカーをやり切りたいと思います。 最後になりましたが、これまで支えてくれた、両親はじめ非常に多くの人のおかげで、今僕はサッカーができる、させていただいているということに大変感謝しています。 まだまだヘタクソで、何もわかっていない者ではありますが、地道に、真面目に、一歩一歩着実に努力して、これからも励んでいこうと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。 最後までこんな変でクソ長い文章を読んでいただきありがとうございました。

2年生 · 10日 7月 2023
おおきに。情報科学部情報科学科一年の檀浦慶です。大阪府立泉陽高等学校から来ました。ポジションはセンターバックとツッコミです。生まれも育ちも大阪府で生粋の大阪人です。「おおきに」なんていう言葉は使ったことがありません。大阪から遥々広島に来た時、エスカレーターで右に並ぶのは大阪だけと知らずに広島駅で堂々と右に並んでいた迷惑ものは私です。大学生活にやっと慣れてきたところ、エセ関西弁を使っている人がたまたま周りにいて無性に腹が立ちました。ばれます。最近、「大学数学」という大きな壁にぶち当たり、乗り越える気力もわかないまま「挫折」している私ですが、私は今までのサッカー人生で二回ほど大きな「挫折」をしています。 私は小学4年生のころ、友達に誘われクラブチームに入り、サッカーを本格的に始めました。そして段々とサッカーに惚れ、どんどんのめりこんで行きました。そして中学ではJ株のクラブチームで全国目指して練習していました。そこで一度目の「挫折」を味わいました。中学二年生の時、一つ上の学年でプレーすることがあり、そこで自分のその当時の実力と一つ上の先輩方との実力の差を強く実感し大きく挫折してしまいました。結局、そこからは自分に自信が持てず、いいプレーができませんでした。しかしその当時、上のレベルを体感できたからこそ、自分の目指すところがはっきりし、その後の私の成長を支えてくれました。高校ではいわゆる進学校というところに入り、日々勉強に勤しみながら部活動をする毎日を送っていました。大阪府ベスト8を掲げていた私の高校では公立高校でありながら比較的厳しい練習をしてきました。私が高校二年生の時に迎えたインターハイ、ここで負ければ先輩が引退するという大きな大会で僕は試合で何もできず、目標を達成することができないまま敗戦してしまいました。この試合で自分の無力さを知り二度目の「挫折」を味わいました。自分の実力をはっきりと知ることができ、今後のするべき内容がはっきりし、練習への意欲や態度も大きく変わりました。その結果私が高校三年生の時のインターハイでは目標達成とまではいきませんでしたが、強豪校を次々と倒し勝ち進む快進撃をすることができました。 「挫折」するということは確かに辛く、耐え難いものではありますが悪いことではありません。自分の現在の実力がはっきりしたり、目指すべき目標が明確になったり今後の成長につながるものばかりだと思います。今後のサッカー人生でこのような経験をすることがあると思いますが、その時は「挫折こそ」という気持ちでリスタートしていきたいと思います。ちなみに大学数学による挫折は、自分の実力を知り、目標が見えど、重い腰が上がらずリスタートできていない状況です。 最後にこれからの広島大学サッカー部での目標を宣言して終わろうと思います。僕はサッカーが大好きです。サッカーをするのも、観戦するのも全部が好きです。なので僕の目標は「サッカーをより深く知ること」です。この中にはもちろん戦術はもちろん技術やフィジカルの向上も含みますし、オフ・ザ・ピッチの部分も含まれています。この目標を達成できるように四年間必死に頑張っていきます。つたない文章でしたが読んでいただきありがとうございました。これからも応援のほどよろしくお願いいたします。        檀浦 慶

2年生 · 04日 7月 2023
こんにちは。工学部第1類の大渡祐希です。佐賀県の武雄高校から来ました。一人暮らしを初めてはや3ヶ月過ぎましたが、自炊もせず遅寝遅起きのグータラ生活をし、夜になるとほぼ毎日高校の友達と電話をする地元離れが出来てない生活を送っています。ちなみに最近は、よく遊びに来る友人のせい?おかげ?で乃木坂にハマっています。このようなサッカー部1ダラダラな男について語っていこうと思います。初めてのブログで拙い文章になりますが少しの間お付き合いくださると光栄です。 私のサッカー人生は、小学2年生、8歳の頃に始まりました。休日に父と公園でサッカーボールを日が暮れるまで蹴っていたのを覚えています。今思うと野球をやっていた父が私のサッカーに付き合ってくれたのはどんなに幸運なことかと思います。その後、地元のクラブに所属し中学生でクラブチーム、高校で部活としてサッカーを続けてきました。私のサッカー人生はかなり恵まれており、小学生の頃の2個上の先輩、中学生の頃のチームの同級生が今現在プロサッカー選手として活躍しています。このように自分の周りの人がプロで戦っているというのは誇りでもあり、努力するためのモチベーションにもなっています。小中において、競い合うライバルがいたというのは自分にとっても大きな財産であり、かけがえのない経験だったと感じています。それとは一変、高校では大した努力もせず、自主練など数えるくらいしかしていませんでした。やる気のない時はただこなすだけ、チームが負けても自分は関係ないと考え責任転嫁、ほぼ成長のない三年間を過ごしてしまいました。試合をするのは好きだったけれど練習をするのが嫌いだった私は、真剣にサッカーをするのは高校で終わりとして大学ではするとしてもサークルでやろうと考えていました。しかし、大学でも続けようと思ったのは受験期にまだサッカーの熱が残っている自分に気づいたからです。(瘦せたい思いがあったのはここでは伏せておきます笑) 以上、私の高校生までのサッカー人生についてだったのですが、これからは大学サッカーについて話していこうと思います。私が広島大学サッカー部に入って一番強く感じたことは、すべてに関して質が高く、高い意識をもってサッカーをしているということです。今まではチームの中でも並のレベルがあった技術に関しても大学に入って全く歯が立ちませんでした。パス、シュートの質が高いのはもちろんですが、一番驚いたのはトラップの質です。高校まではあまり考えずに適当にしていたのですが、これひとつですべてが決まるといっても過言ではないくらい大切なものだと気づかされました。また、広島大学のサッカーはすごく頭を使います。相手をはめるための守備、自分ではなく味方のための攻撃時の動きなど頭を休める時間がありません。攻める時も毎回前に急ぐのではなく、味方や相手の状況、時間帯を考えて一から作り直すことを考えなければいけません。これが高校サッカーと大学サッカーの大きな違いだと感じています。 私はこの広島大学サッカー部で全国大会に出場し、最低一勝を目標に頑張ります。また、個人の目標としては、早くAチームの試合に出るようになることです。僕は全然体力がなく、戦術も理解できていないので個人としてそれをレベルアップしていきたいです。 また、僕がこうしてサッカーができているのは、親、チームメイト、指導者のおかげなのでそのことを忘れることがないようにします。四年間感謝することを忘れずにプレーしていきたいと思います。ここまで長い文章を読んでいただきありがとうございました。広島大学サッカー部として恥ずかしくないように頑張っていきたいと思います。 大渡祐希

「後悔」(福田駿介)
2年生 · 03日 7月 2023
 こんにちは。医学部保健学科理学療法学専攻一年の福田駿介です。滋賀県立草津東高等学校から来ました。ポジションはゴールキーパーです。出身は滋賀で、滋賀県生まれ、滋賀県育ちの生粋のあみんちゅ(淡海人)です。現在は一人暮らしをしていて、ちょうど洗濯機が壊れて、友達の家で洗濯をさせてもらっているところです。また、朝にめっぽう弱いので、今年の目標は「最初の授業に間に合うように起きる。」で、毎日朝から布団の上で睡魔と静かな戦いを繰り広げています。勝率は五分五分ぐらいなので勝ち越せるように頑張ります。前置きが長くなりましたが、これから私のサッカー人生について、拙い文章ですが書いてい きたいと思いますので、是非最後まで読んでいただけると幸いです。  私は、小学校3年生の時から少年団に入り、本格的にサッカーを始めました。それ以前から遊びでサッカーをしていたのですが、その時からキーパーをしていて、少年団に入ってからもずっとキーパーをしてきたので、合計で10年以上キーパーをしてきたことになります。そんな私ですが、サッカー人生で2回ほど大きな後悔をしたことがあります。1回目は、中学3年の時です。3年生当時、私は通っていた中学校のサッカー部に所属して活動していま した。中体連では、3年生には春と夏に大きな大会があります。私はどちらの大会もスタメンとして出場させてもらうことが出来たのですが、どちらも失点になる自分のミスで県大会1回戦で敗退してしまいました。私はその時に自分自身のプレーを悔やみました。自分のミ スについて何度も考え、自責の念に駆られました。そしてそこで私が出した結論は、この後悔を無駄にしないということです。終わってしまったことは変えることはできません。だから、この後悔が次に来る成功の過程であったと捉えるように今後していくことだけが、自分と周りにとって、唯一の後悔の念を晴らす方法だと思いました。結果的に、この経験があっ たからこそ、高校では本気でサッカーに打ち込むことが出来たと自負しています。私はこの経験から、悔やむ時間があるのなら、その時間で同じミスをしないように練習する方が大事だということを学びました。2回目は、高校3年生の時です。私は高校の普通科コースに進学し、サッカー部に入部して活動していました。サッカーをしたくて高校を選んだので、1、2年生の時には毎日サッカー漬けで過ごしていました。しかしながら、インターハイが終わ ると、周囲のクラスメイト達は受験勉強を始め、部活動を引退していきました。私も自主練をすることが減り、勉強に時間を使うようになりました。この時から、サッカーと勉強の両立が難しくなり、サッカーに対して、本気で打ち込めていないと感じる日々が続きました。そして、全国ベスト8以上を目標として頑張ってきた最後の選手権大会を迎え、結果は県予選決勝戦で敗退しました。私は勉強にばかり時間を使って、サッカーをしに高校に来た最初の自分の気持ちを裏切ってしまったことに後悔の気持ちでいっぱいになりました。結果的に第一志望にしていた広島大学には入れましたが、あの時の後悔の気持ちは忘れていません。一度しかない高校 3 年生でしか経験できないことを大切にするべきだったと今でも思います。そこで私は、上に書いた中学生の時のことを思い出しました。悔やんだままではサッカーをやめるにやめられないと思い、元々サッカーを引退しようと思っていた私は、広島大学の体育会サッカー部に入ることを決めました。私は、この大学サッカー生活で、その一瞬一瞬で、一度しか経験できない毎日を全力で取り組んでいきたいと思います。そして、高 校で達成できなかった全国ベスト8 以上、全国優勝を達成します。後悔と聞くと、どうしてもマイナスなイメージが付きまといますが、私にとっては、大きな学びを与えてくれた大切な出来事だったと思います。後悔が私にくれた気持ちを忘れないように4年間全力で頑張 ります。  最後までまとまりのない文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。これか らも日々精進していきますので、応援の程よろしくお願いします。  福田 駿介

「期待」(鈴木脩平)
2年生 · 26日 6月 2023
こんにちは。便座の温かみより人の温かみがほしい情報科学部1年の鈴木脩平です。出身は兵庫で、ポジションは主にサイドハーフをやっています。へたくそな文章ですが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。...

「The easy way has no meaning」(筒井康太)
2年生 · 22日 6月 2023
おはようございます。こんにちは。こんばんは。教育学部第四類健康スポーツ系コース1年の筒井康太です。...

2年生 · 19日 6月 2023
こんにちは。教育学部第2類自然系コース1年の北島亮佑です。 出身地は福岡で、有名なものでいえばラーメンとかもつ鍋がうまかばい!! ここからは少し硬い文章になるので、面倒な方は最後の段落だけでも読んでいただけると幸いです。...

「ステップアップ」(橋本拓磨)
2年生 · 15日 6月 2023
こんにちは。情報科学部1年の橋本拓磨です。...

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