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「なんとかなる」(山口虎汰朗)

 ハイサイ!ぐすーよーちゅうがなびら!わんねー、山口虎汰朗やいびーん!

 これは、僕の地元の沖縄のあいさつで意味は僕も分かりません。僕は、沖縄出身ということで、周りの人には野生人だとか身体能力がすごいだとか思われていますが、そんなことありません。ひとつ言っておきますが、沖縄はジャングルではありません。また、「なんくるないさ」も言ったことはありません。ですが、なんくるないさ精神は持っていると思います。なんくるないさというのは、沖縄の方言で、なんとかなるさという意味です。僕は、つらいことや、難しいことがあっても、なんとかなるだろうと、楽観的に考えるようにしています。そんな僕でも、なんくるならないようなことがありました。それは、高校一年生の時に分かった腎臓の病気です。僕は、IgA腎症という病気だと診断されました。この病気は国の指定難病とされていて、完治というものがありません。僕は、扁桃腺をとる手術を受け、1年間の運動制限を強いられました。

 

今まで当たり前のようにしていたサッカーが突然できなりました。これは流石に楽観的に考えることはできませんでした。自覚症状がなく、やろうと思えばできるのにさせてもらえないというのが、余計に辛く、もどかしかったです。1年の夏に、1年生だけの大会があり、僕は手術のため、決勝以外は病室で、決勝はベンチで仲間の戦っている姿を見ることしかできませんでした。ですが、この大会で僕の意識は大きく変わりました。僕が病室にいるとき、試合前の円陣で、チームメイトの一人が「コタロウのためにも勝つぞ!」と声を出し、チームのみんなが大きな声で応えている動画がマネージャーから送られてきたのです。そして、チームは見事優勝を勝ち取ってくれました。このことは多分チームの中で僕しか覚えていないと思いますが、僕の中の絶望がモチベーションに代わった大きなきっかけでした。それから僕は、チームのために、自分のために、今できることは何だろうと考えるようになりました。今までだらだら見学していた部活の時間も、マネージャーの仕事を手伝ったり、筋トレをしたりするようになりました。それから、2年で復帰し、1年の時見届けた県制覇に今度は自分が貢献するという目標を掲げて、人一倍努力しました。そして県新人の決勝でゴールを決め、チームは優勝し、目標を達成することができました。それから、3年次の県総体も優勝し、全国を経験して、定期的に検査は必要ですが、大学になってもサッカーを続けています。この病気があったからこそ、僕は強くなれたし、チームのことをもっと好きになれたのだと思います。

 

生きていくうえで、けがや病気、他にもいろんなことで悩むことがあって、時に絶望するようなことが、誰しもあると思います。僕が伝えたいのは、その時には悲観的になるのではなく、その時自分に何ができるかを考えること、そしてチームや仲間、家族といった自分だけではどうしようもないときに頼れる人たちを大事にすれば、大抵のことは何とかなるということです。そして、これは病気について調べているときに見つけたIgA腎症になった方のブログに書いてあった言葉です。

「神様は乗り越えられる人にしかその試練を与えない」

この言葉は何度も僕の心の支えになりました。今度は僕が、IgA腎症になった人はもちろん、病気やケガ、いろんな理由でしんどいなと思っている人を少しでも勇気づけられたらなと思ってこの文章を書かせていただきました。

 

僕は今、広大サッカー部の、Bチームでプレイしていますが、今できることを考えて行動し、課題を克服しながら、結果を残し、いずれAチームでプレイできるようになりたいです。

 

長くてつたない文章でしたが、最後まで読んでくれてありがとうございました。