· 

現在の私(橋本峻)

 総合科学部総合科学科の橋本峻です。現在は主にCBをしています。

 

 冒頭のこんにちはから、謎の近況報告をする流れが続いていますが、思わぬ人が見ていることもあり、私は自分のことをあまりさらしたくないので、最近はこのブログを全て読み返したということだけ報告しておきます。 

 

  何を書こうか非常に迷ったため、とりあえず、これまでのサッカー人生の要約と考え方を書いて、自己紹介とします。 

 

  小学校では、近くに東京ヴェルディのジュニアチームがあって、そこに憧れつつも倒したいと思っていました。彼らは、パスをつないでGKまで崩し切るというような考え方をしていました。対戦するときはプレスをかけようとしましたが、前半は何とかなっても、後半押し切られることが多かったです。

 総じて、楽しくサッカーをしていましたが、一歩引いたところから見ていることが多く、ポジションは大体CBでした。もう少し攻撃していればと後から思ったことは何度もあります。 

 

  中学校では、グアルディオラのバルセロナが全盛期を迎えていたこともあって、ポゼッションと即時奪回をどのチームも目指していたように見えました。この頃に教わったことが、ずっと基本になっています。マークの付き方、ポジショニング、タイミング、サッカーの見方などです。CBをしていましたが、足が遅くキックも全然飛ばなかったです。今も大して変わっていないです。

 最後のトーナメントで前半ビハインドで折り返して、後半3ー4-3にしたが全く機能しなかったことを思い出しました。すごく重要な時期でたくさんのことを教わったと後から気づきましたが、当時はとにかくもやもやしていました。今に続くモラトリアムの始まりでした。 

 

  高校に入ると、たくさんの指導者がいて、それぞれから影響を受けました。下級生の時はトップチームで試合に出るためにどうしたらよいかを考えていました。そのとき出した結論は、まず大前提として守備ができること、それに加えて攻撃面で何かプラスαをもたらせること、何らかの形でチームにプラスをもたらせることでした。

 やがてこの考えから’違い’とはなにかという問いに対して、思ったところに体とボールを運べるかという答えを見つけました。どこに体とボールを運ぼうとするかは頭の部分の問題になります。この過程で、ポジションがCB、ボランチ、トップ下と適当になっていきました。

 学年が上がるにつれ、支配欲が異常なまでに高まりを見せてきて、ゲームの主導権を握るということを常に考えるようになりました。今まではボール保持による支配を目指していましたが、それは選手の特性的に諦め、ボールを保持していなくても試合を支配できるような状態を目指すようになりました。自分たちよりも強いチームに勝ちたかったため、シメオネのアトレティコやプレミアを優勝したレスターの4-4-2を意識していました。 

 

  大学は今までで一番レベルが高い環境でした。初めて芝のグラウンドがホームグラウンドになって、土のグラウンドではこだわれずごまかされていたようなところまで問題になってきました。うまい人とサッカーするのは楽しいし、目指しているサッカーも自分の中の理想に近いです。

 しかし、昨年は試合数も少なくその中でもあまり出場できなかったため、対戦相手がいて緊張感のあるゲームで勝つ喜びをあまり味わえなかったのは残念でした。今年はもう少し出場時間を増やしたいです。

 

  ここまで自分史というか過去を書いてきました。他人の過去が知りたいという気持ちもありますが、正直そんなことよりも、今ピッチでどんなプレーをみせられるのかが大切だと思います。ちょっと一般化すると、過去や考えていたことがいくらあったとしても、今ここで求められたときに何を出せるかの方が大切だということです。よって、このブログを書くに際にメモを大量に書きだしたのにも関わらず、この程度のクオリティしか出せなかったことがすごく残念です。

 ボツ集を挙げると、見えないところで影響を与え続ける人々、サッカー用語の転用~インテンシティを例に~、浪人性の抱える闇、失恋(キャッチーなフレーズを求めて)、引用集、勝てないリヴァプールと勝てるシティ、士気をあげるために、一人暮らしの生活、ボードゲーム概論、サッカーからすべてを学んだ、などです。これも去年妥協レポートを出しまくってしまった弊害でしょうか。奮起を求めます。

 

 

 広島大学体育会サッカー部 1年

 

 橋本峻